後悔ない人生を歩むことなんてきっとできやしない

エッセイ

こんばんは、あいてぃ~です。

本日は、人生の中で誰しも一つや二つは抱えているであろう「後悔」をテーマに筆を走らせて行こうと思います。(実際にはキーボードカタカタだろうというツッコミは野暮です)

後悔で頭がいっぱいの人へ。完璧主義が故息の詰まる毎日を送る人へ。将来優先の人へ。シンプルに気が病んでいる人へ。他Etc.な人へ。

あれこれ考えているうちに自分の中で答えをいくつか示すことができるようになりましたので共有します。

そこらへんに吐いて捨てるほどいる大学生の一駄文ですが、是非覗いていってください。

後悔のない人生って無理ゲー?

私は日々後悔のないように過ごすことを意識して生きていました。それは皆さんも一緒だとは思うのですが、最近ふと考えることが増えたのです。

どうやら、人生というものはどうあがいても後悔を残す人生になってしまいそうだ。否、人生というものは矛盾を孕んだ人間が紡ぐある種のエッセイのようなもので、私自身矛盾にがんじがらめにされているわけだから、当然その文章というものも後から見るとぐちゃぐちゃに見えてしまうだろう。

あいてぃ~ 頭の中から引用

後悔のない人生、なんて美しい響きなのでしょう。

そんな人生があるならば是非歩んでみたい。誰しもが一度はそう思うはずです。

誰だって失敗の都度タイムマシンで選択の場面まで戻り、選択の全てを成功に書き換えた状態で人生走り抜けてみたいと頭で思い描くことがあったはずです。

これは自慢ではありませんが、私は今まで人生の中で後悔をあまり、いや全くと言っていいほどしてこなかったかもしれません。

完璧主義だった性格でありながら、なまじ馬力があり無理やり理想を形にできていたためなのかもしれません。

そんな私ですが大学入学以降一人暮らしが始まり、コロナ禍による外出自粛に加え大学に友人がいない(これは単に努力不足)という状況も相まって1人時間が圧倒的に増え、その中で私自身という人間とは何かを考えさせられました。

その際人生を振り返るわけですが、「正解」を繋いで作った人生という道は、「不正解」とは言わないけれどどこか歪で真っすぐでない事に気づいてしまいました。

おかしい、こんなはずじゃなかった。

挫折。

挫折?私の選択は正解ばかりだったのに?

正解を選び続けていたにもかかわらず振り返ったら後悔しているなんで、人生ってもしかして後悔のないように生きることは無理なんじゃないか?

そもそも後悔のレベルを小さいステージで捉えると、簡単な例として失敗したその瞬間のタイミングは確実に後悔することでしょう。

なぜこの選択をしてしまったんだ、こちらを選んでいればよかったのに、ってね。

一方その場では成功した、やったと拳を突き上げるほどの成功体験を得た瞬間は挑戦したという選択を大いに喜び、成功体験として人生経験に積みあがっていくと思いますが、後々後悔してしまう事という事例もあるでしょう。これは例として私の人生で挙げるとするならば、機械工学専攻で大学入学・大学院進学してしまったことでしょうか。

そうやって意味もなくマイナスな考えばかりを細分化していくうちに、私の心は壊れてしまっていました。(これについての話もいつかまとめてみようと思います)

さて、ここまでは私の話ですが、次は私の不器用な友人の話をしてみます。

俺は失敗ばかりだった。他人も自分自身もいっぱい傷つけてしまいその都度やっぱり後悔してきた。高校受験も失敗したし、大学受験と大学院受験はともに一年浪人してやっと突破できた。

地頭も良くないし、俺の人生少しもかっこよくなんてない。でも、やっとお前ら二人に追いつけた。今はまわりに恵まれているし、今の成功を掴んだのは紛れもないこの俺自身の選択によるものだ。だから自信もあるし、ここまでのことは全て繋がってたのかもしれない。

あいてぃ~の幼馴染N こないだの喫茶店より引用

「未来」のために日々の選択を慎重に考え、積み上げてきた上に「今」がある私のパターンとは異なり、日々ぶつかっては修正を繰り返す中で、もがいてもがいてようやく「今」をつかみ取った、そう私は捉えています。

人生の進め方は当然人それぞれなわけですが、私目線では常に「今」を生きる幼馴染Nの姿をどこかキラキラしているものだなぁと羨んだりすることもありました。

一方の彼はというと私の「未来」を見据えた「今」の賢い使い方を見て、とても器用な点を評価してくれていたみたいです。当の本人はその「今」を後悔していることはつゆ知らず。

ただ、お互い共通してお互いの人生観とその言動を評価しており、時には羨んだり妬んだりという関係だったようで、隣の芝生は青く見えるという言葉ピッタリですね。

ただ肝心の自身たちの芝生はというと、後悔という経験で泥にまみれていたり、計算高く積み上げたつもりが妙に不ぞろいだったりというわけです。

これは完全に余談ですが、喫茶店を後にした私たちはNの部屋にて宅飲みに溺れ、こう口にし合いました。

「後悔のない人生って、無理ゲーなんかもな。」

後悔だらけの人生は美しい

テストで100点満点中90点くらい取れたとしましょう。すると私含め普通の人たちはこう思うはずです。

「よく頑張った。次も頑張ろう。」

テストにおいてはそれで構わないわけですが、こんな言葉もあります。

「成功体験は人を狂わせる。」

あの時できたからと過去の栄光にすがってしまい、失敗に繋がってしまう。

成功していても尚失敗してしまう可能性がある人生ってとても難しいとつくづく思います。

ただし、後悔は失敗とは別物です。成功や失敗自体は割と事実ベースで第三者目線でも判断できるものですが、後悔というものは当の本人がその事実に対し何を思い、何を感じるかに左右されます。

つまり後悔とは、物事に対する感受性が豊かであったり、或いは小さなことに対しセンサーをしっかり巡らせ日々の生活に活かすことのできる人のみがたどり着くことのできる感情の終着点の1つなのかなと。

そしてそこに到達する間にはいくつかの障壁があります。

「私には難しすぎるから~」「あんまり思い出したくないな,,,」「めんどくさいし後で考えよう」

そう、人はいちいち自身の失敗と正面きって向き合わないわけです。その過程はとてもつらく、苦しい。

後悔のできる人とは、とても強く、また勇気のある人でなければなりません。

失敗から何かを感じ後悔できる人とは、とても美しくカッコいい人のように思えませんか?

余談1 火拳のエース

皆さんは、ワンピースという少年ジャンプ作品にて登場する、主人公ルフィの兄「火拳のエース」をご存じでしょうか。

私はワンピースでエースと出会って以来、彼の拙くも礼儀正しく、孤独で孤高なキャラクターに強く惹かれました。

そんなエースは作中、主人公であるルフィに対し「くいのない様に生きるんだ!!!」というセリフを投げかけています。

私は彼の信念でもある「くいのない人生」というものを自分なりに考え、時には強気な選択を取ったことも少なくありません。それによって大きな成果を得られたことも、また、大きく失敗することも。

エースの話に戻りましょう。詳細はネタバレなので省きますが、エースの人生は、ある種の失敗によって本当にあっさり、ろうそくの火をふっと吹き消すが如く最後を迎えてしまいます。

彼はその失敗自体は後悔していないと私は思っています。しかし最後の言葉から、ここで人生が終わってしまうことに対する心残りを受け取ることができます。

ここまで真っすぐな人物でも、幼いころから悔いのない人生を志し、それを実行し続けてきたエースでさえも死に目にはやはり後悔が残ってしまうものなのか、とふと思ってしまいました。

余談2 さっき観たYoutubeの資産形成系動画に登場した人

先ほどYoutube自動再生で放置している中で、資産形成系の動画が一本再生されていました。

内容としては、「20年かけて資産8000万をつくり出した私が今思う事」のような感じ。

8000万、途方もない数字ですね。そんなにお金があったら、なにしようか。とりあえず大学院は自主退学してしまおうかと思います。

それはそれとして、動画内でバツイチということを明かし、結婚生活の中で子供に対する価値観のすれ違いから離婚に至った経緯を淡々と説明したのち、離婚は後悔していないけれどもどこか資産形成に夢中になってしまい価値観の合った異性探しを怠ったことを後悔している旨の発言をされていました。

結婚相手はおろか彼女なし大学に友人なしの私からすれば、いろいろな感情をいっぺんにまとめて「何贅沢いってんねん」なわけですが、私はお金大好きです。

昨今資産形成が流行っていますが、私の夢は保育園児の頃からお金持ちになりたい、であり、その願い事を短冊に書いて堂々と周りに見せびらかしていた始末です。

そんな私からすれば、資産8000万。それだけで頭くらくらしちゃいます。

でも、私の夢の権化のような人でも。やっぱり後悔している。

お金は直接関係ないかもしれないけど、彼の頑張りではどうしようもないことだったかもしれないけれど。

でも、動画に出演されていた方は、後悔していた。

人生=お金とは当然思っちゃいないけど、人生って何なんだろう、と。

短絡的に、けれど私にとって重要かもしれないこのひっかかる感じを字に起こしておきます。

最後に

人生とは人の数だけ存在します。一方、人生における「正解」とは掴みどころがなくそれでいて人の数をはるかに上回るくらいに存在していそうで、ひょんなことで簡単にひっくり返り「不正解」というみかけの「後悔」になってしまう。

そんなものにいちいち正負や幸不幸のラベル付けにいそしむくらいなら、目の前の壁を打ち壊す、或いは乗り越えるために考えをめぐらすのが良いのかもしれません。

ただ、私たちは矛盾を孕んだ人間であり、見かけも本質も百点の道を理解していても尚逸れてしまうことが多々あります。

そうして疲れてしまった際には、どこか自然に囲まれた場所に行くなり瞑想するなりして都度リセットするという、月並みなアドバイスがアクションプランとして良いものになり得そうですね。

ちなみに私は読書や今まさに行っているブログでの字起こしです。

時々人生を振り返って、未来とも向き合いつつ、今を生きる。

ついゼロ百人生になりがちな人間だからこそ、釣り合いをとれるようになりたいものです。

長くなってしまいました、これにて締めさせていただきます。

誰かの人生の肩の荷を下ろすお手伝いができるような文章になっていましたら幸いです。

それでは、またどこかで。

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