【理系大学生】理系ぼっち大学生になるということ

大学生

あいてぃ~です。

本日は理系ぼっち大学生になるということはどういうことなのかをまとめました。

ぼっちで過ごす大学生活はどのようなものなのでしょうか。同じくぼっち大学生であった私の体験談を混ぜつつまとめましたのでその現実を一緒に体験していただければ幸いです。

先日、理系科目講義の実態をまとめた記事を投稿しました。よければこちらもご覧ください。

それでは内容に入ります。

理系で友人0の現実

理系で友人が0になるとどうなってしまうのでしょうか。

スタートダッシュの失敗→ぼっち大学生の誕生

ぼっち大学生は基本的に「スタートダッシュの失敗」によって誕生します。

大学は基本的に同じ学部・学科で4年間過ごすことになります。

これまでのように強制的なクラス替えなどは存在しないことがほとんどであり、基本的に受ける授業なども全員が一緒となります。

つまり、1年生での友人作りが一番大学生活に影響を及ぼすといっても過言ではありません。

基本的に人間というものは安定を求めるため、一度形成されたグループからわざわざ脱出するような事はしないわけです。また、既に形成されたグループの中に新しく飛び込んでいくといった行動もなかなかできることではありません。

よって一度でもぼっちを始めてしまうと、卒業までぼっちになる可能性は非常に高いです。

ぼっち大学生が失うもの

次にぼっち大学生が失うものを主に4点挙げてみます。

  • 時間
  • 過去問
  • 成績
  • 大学に対する情熱

それぞれが関係を及ぼし合っているため、内容がかぶってしまいますが細かく解説します。

ぼっち大学生が失うもの1つ目:時間

ぼっち大学生が失うもの1つ目は「時間」です。

これは主に「勉強」の要素が大きいです。理系の講義は非常に内容が難しいです。後述しますが過去問などといった効率的に学習を進める道具はないため、すべて手探りで勉強する必要があります。

また、勉強によって新たに分からない点が出てくるといった現象が大学では非常に多いです。

Aを理解するためにBを勉強していたところCに躓きDで解消するためにEという方法で―――

といった具合に芋づる式に分からないことが増えます。とてもではありませんがすべてを理解しきることは不可能です。

それでも単位のために勉強をやめるわけにはいかないわけです。こうしてぼっち大学生は「時間」を失っていってしまうというわけです。

ぼっち大学生が失うもの2つ目:過去問

ぼっち大学生が失うもの2つ目は、「過去問」です。

多くの場合講義の担当教員が毎年変更されるといったことはないため、先輩方が積み上げてきた過去問というものが存在し、これはその講義の単位を取るにあたり非常に有用となります。

私の周りでは、機械系の科目の過去問がすべてまとまったデータがやり取りされていたようです。

しかしぼっち大学生は身の回りとのつながりがないために過去問を調達できません

ちなみに個人的な考えですが、大学における過去問は大学受験における過去問とは比較にならないほど有用です。

専門科目では、その科目特有の表現を用いて日本語を省略したり式を簡易的に示すといったことがよく行われます。また、その表現も教員によって異なることが多く、表現方法は教員の数だけ存在するようなもののためにその全てを暗記することは不可能です。

テストも当然その科目の担当教員が作成するため、過去問を使用しどのような問題傾向となっているのかを掴むことは学習に非常に有効となります。

これを利用できないぼっち大学生は自然と学習に時間がかかり、1つ目に挙げた「時間」を失うというサイクルに陥ってしまうわけです。

ぼっち大学生が失うもの3つ目:成績

ぼっち大学生が失うもの3つ目は「成績」です。

上2つの要素の結果、ぼっち大学生は他の人と比べ成績が圧倒的に悪くなります。

私の成績を上げますと、その最終成績はGPA1.98でした。この年は同期の留年が多かったため、この成績でも中位ではありましたが、一般的にGPA1点台はかなり低い部類です。

難解な専門によって時間を失い、過去問未入手によって失う時間はさらに加速します。

そうして残るものは、かなりの勉強時間を費やしたにもかかわらず平凡以下の成績という残酷な現実というわけです。

ぼっち大学生が失うもの4つ目:大学への熱意

ぼっち大学生が最後に失うもの、それは「大学への熱意」です。

勉学に歯が立たない現実、便利な過去問を手に入れられず思うように伸びないテストの点数、それに付随してGPAという形で周りとの差をまざまざと見せつけられることを数回繰り返すと、たいていの人間は心が折れてしまいます。

こうして大学への熱意を失い、単位を取ることに関心を失った学生が留年していくという残酷な現実に紐づいていき、1つ目の時間を失うに帰着していきます。

以上のプロセスを経て、理系ぼっち大学生の大多数はその大学生活に苦戦してしまうというわけです。

日常生活

これまで主に勉強周りについてお話ししました。

一方の日常生活では、基本的に困ることはないです。しいて言えば、大学の中に一緒にご飯を食べたりゲームをしたりといった友人がいない程度のものでしょうか。

私は気が向かない人間に囲まれて時間を共にすることがなくなっている現在の生活が非常に充実していますので、文理問わずぼっち生活が向いているような人はメリットもあるわけですね。

逆に、周りの目を気にせずひとりでいることに抵抗を感じるような人は、勉強とその他のすべてにおいてデメリットに囲まれた生活が約束されてしまうので、大学生活では絶対にぼっちを回避すべきといえるでしょう。

サンプル:あいてぃ~の大学生活

ここからは、陰キャであった私が理系大学生として送った大学生活をサンプルとしてまとめておきます。

このような人間もいるんだな程度に読んでみてください。

不人気であった機械工学コースを選択

私の専攻では、1年次は複数のコースがまとめられており、2年進級時に希望を出すというものでした。

当時は情報系のコースの人気が高く、ほとんどの学生が第1希望をそのコースとしていました。

一方私は半年で辞めた部活動の影響によって同期と顔を合わせにくくなっており、それが尾を引き不人気であった機械工学コースに進んでしまいました。(機械工学そのものはとても面白いです。)

これが私のぼっち大学生活の始まりです。

講義が呪文以外の何物でもない

そうした私を襲ったのは講義で教員が発する、「日本語を使用した呪文」でした。

板書を写すのがやっとで当然一度では理解できず、毎日図書館に引きこもり参考文献を反復横跳びする生活をしていました。また、過去問も全科目未入手であったため勉強効率も悪く、大学生活で一番やったことと問われれば「勉強」にもかかわらずその成績は平凡以下でした。

周りに相談相手も当然おらず、単位をぼろぼろ落としてしまう現実に絶望していたのを記憶しています。

研究室が全く希望通りでない+外部と同じ条件の大学院入試内容

そうして迎えた研究室配属当日、私が所属する大学では成績上位者から院に進学するという前提確認のもと希望の研究室に配属されるというものでした。

その枠には限りがありましたが、20%ほどの留年により70人中55人ほどは優先的に配属されていくという状況でした。

にもかかわらず私は残りの15人の枠に入ってしまい、希望の研究室に進むことはできませんでした

3年次に個人的にお世話になった研究室があり、ゼミにも参加させていただいていたほどには希望も高かったのですが、現実は残酷でした。

また、成績が悪かった影響によって大学院の入試試験に、内部進学者は通常免除される筆記試験が追加され、実質外部進学と同じ条件で大学院試験を受験しました。

ストレート卒業

しかし最後は無事卒業論文が受理され、無事大学を4年でストレート卒業することができました。

振り返ってみれば、1年次に教養科目を必要分すべて取り切ることができていたことが大きかったように思います。

以上のように、理系ぼっち大学生として「勉強」全般に大苦戦しつつも、何とか卒業することができた私あいてぃ~の大学生活紹介コーナーでした。

まとめ

まとめに入ります。

本日は陰キャが理系大学生になるということについて、友人0の現実をまとめた後、私の実体験を簡単にサンプル例として挙げその実態に触れていただきました。

友人0でも私は大丈夫、とか勉強は得意だから、とか考えている方は注意です。

そのような人間が簡単に留年してしまう場所が大学ということは頭の中に入れておくべきでしょう。

留年してしまう人は頭が悪いわけではなく総じてどこか「ぼっち」な人なのだと思います。

大学生活の中で他人との距離の測り方を是非間違えないで頂きたいと願います。

以上です。

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