【愚痴】大学生って詰め込み教育JPの象徴みたいだよね

エッセイ

こんばんは、あいてぃ~です。

本日はモチベーションが無いながらに大学の研究室に足を運び、家庭の事情で帰省していたふたつ学年が下である4年生とおしゃべりしてきました。

その中でちょっとした愚痴大会のようなものになったのですが、直球で言うならば「大学生って学の割に中身のない話しかできないよね」というようなテーマの雑談に花を咲かせました。

ということで今回は愚痴となってしまいますが、大学生の学力とその中身についてつらつらと書いてみます。

インプットなんて2割でいい、アウトプットを頑張ろう。

(最近大学生ネタが若干回っているから手当たり次第に書いてやろうとは思ってないです)

そもそも自分自身の中身とは?

他人の粗見る前に自分はどうなんだよ、その声、ごもっともだと思います。

そもそも中身ってなんでしょうか。性格、特徴、思考法etc、、、

あとは外見や雰囲気はその人の持つ中身の一番外側がはみ出している、とも聞いたことがあります。

全く考えなしに生きている人間ってのもそう多くはないはずですが、私は一つ自分の中に中身があるだろうと確信しています。

私はモノづくりをすることが好きです。0から1を生み出すことが好きで、将来はモノづくりに携わるために機械系の講義を行う大学に進学して、日本のモノづくりに貢献しよう、と思ったりこうしてせこせことブログを書いて誰かの役に立てるような価値提供をしていこうと日々試行錯誤しているわけです。

それ以外にも自身の行動一つ一つに何かしら理由付けをしていたりするので、少なくとも言動に中身がついてくるように意識しているんだろうと考えられます。

こうした自身の中身というものは突然降ってくるものでもなく、或いは誰かに与えられるものでもありません。

人生を生きる中で、経験を積む中で自分自身が何を考えるか、何を感じるか、これの積み上げ以外で人間の中身を育てることはできないと思っています。

私は良くも悪くも内向的で物事に対し一旦自分の中でかみ砕こう、私自身がどう感じているかを観察しよう、とする癖があったため正負はさておき自分自身の中身があると言い切れるのかな、と思います。

学のあるはずの大学生との会話でがっかりする

私は頭のいい人が好きです。様々な情報を蓄えていて一問一答系に即座に回答できるのは一つ才能があると言えるでしょう。

雑学ができる人は特に憧れます。雑談力に直結する要素ですし、様々な事柄に対しアンテナが建っている証拠とも言えるかもしれません。

でもそれ以上に、物事に対し深く自分なりに考える人のことが好きです。

その考え方が仮に社会的に好ましくなかったとしても、芯がしっかり通っている人は会話していて面白いと感じることが多いです。

私は人間関係において相手に求める要素として、自身の考えがしっかりしているかどうかに一番重きを置いています。

高校生までは多感な時期でもあるため仕方がないと思いますが、大学生は多くの学生にとって勉強を積み上げてきたひとつの結果発表会という認識があり、そこである程度成績を出せる人たちという担保がされているわけで、私は無意識に勉強ができる人たちはきっと勉強以外もうまくいくような自身の考えをしっかり持っている人なんだろうだと期待していました。

例えば講義で課される課題。彼らはすいすい解き進める様子が見られます。やっぱり流石だな、勉強ちゃんとできるんだな、そう感じる一方で、いざ何でもない雑談をしてみると、表面的なキャッチボールしかしません。

それ、小学生レベルの感想じゃない?大学生活内で何度でも感じてしまいました。

言葉を選ばずに言うのであれば、そんなもんなんだ、勉強ができる大学生って。

学歴社会に偏向しすぎた現代社会

少々大学生下げに寄りすぎていますが、これは学歴社会が加速する現代社会に一つ要因があるかなと思います。

私たちの世代は特に親世代が学歴偏向であり、生まれたときからおそらく勉強はできるようになっておきましょうね、って言われているかと思います。

私の母親ももれなくそのような思想を持っており、小さい頃は隙あらば勉強勉強と言われていた覚えがあります。

家庭だけではなくもちろん学校でも。教員は生徒をよりよい大学に進学できるような「誘導」を行っているな、と感じる場面も多かったです。(自称進学校レベルのよくあるやつ、でも学校生活において学力向上はその面だけ切り抜けば別に間違ってはいないと言い切っておきます。)

勉強自体本質的に嫌いな人間はそこまでいないかと思いますが、世の中の「勉強ができる人」というのはしばしば「学校の言うことをちゃんと聞けるいい子ちゃん」という風に曲解されている節があります。

私はやらされる勉強は大の苦手でしたので、無意識に課題を提出しなかったり(課題自体はちゃんとやっているが)定期テスト対策をしなかったりという人間でしたが、多くの人はここで先ほど挙げたズレからくる違和感をぬぐえずに勉強に身が入らなくなってしまうのではないかな、と思います。

あとは、別に勉強なんてできなくたって実はたいしたことないのに、勉強ができるかどうかの一点のみで周りの認識がどんどん歪んでいくこともあるかなと思います。

アイツは勉強ができるから、逆にあの子は勉強もできないから。そういった認知の基準になってしまっている事実は否定のしようがなく、現代はそれが当たり前な社会なわけです。

そのような社会の中、無難に成長していった結果というものは大学生を観察することで何となく理解できてしまう気がしちゃいます。実にくだらない。

愚痴に付き合っていただきありがとうございました

本日はちょっとした愚痴シリーズになりました。

うだうだ続けましたが、私が感じる違和感、今の大学生ってそういった詰め込み教育の結果を反映した結果に過ぎないんだろうかな、と思いますね。

もちろん勉強とともに自身の考えがしっかり立っている人も探せばいっぱいいますので、高校生までの皆さんはほどほどに「やらされる勉強」とも向き合っておいた方が将来より優秀な人に囲まれる確率は上がるかなと思います。

ところで3項目目を描いている際に、幼いころ両親から強制された勉強エピソードとその後の自身への影響というものに興味を持ちましたので、後日そういった内容で記事を書いていこうと思います。

というわけで、本日はここまで。

‐追記‐
中身のないこの記事書いている私はいったい何なんだって気もしてきたので、やっぱり私自身もまだまだなんだろうと感じました。

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